福岡加奈

記事一覧(27)

新しい場所の名前が決まりました‼︎⑦

セカンドハウスを建てることになって気付いたことセカンドハウスを建てる!となってからより家族のコミュニケーションが増えた。父は初めて建てる家だから、いっぱい本を買って読んだり、モデルハウスを見に行ったり夫婦で毎日楽しそうにしている姿を海を越えて感じることができている。セカンドハウスを建てることになって父と真剣な話をすることが少し苦手だったけど話せるようになった家族のコミュニケーションがより増えた両親から愛されていることを実感できた両親が楽しそうに今を生きていることが娘として嬉しい私の娘達がとっても喜んだ家族と夢を叶える場所私が作りたかったのはただのコミュニティスペースではなかった。家族と夢を叶える場所を作りたかったのだ。それは大切な人の笑顔を引き出すため。大切な人が笑顔でいてくれたら、私はとても幸せだから。なぜこう思ったのか?私はママになって、妻になって自分自身の人生は、ママとして、妻として生きていかなければならないと思っていた。ママとして、妻としてだけ生きていかなければならないと思っていた私は苦しかった。どんどん自信をなくした。でもmamahataと出逢って、「福岡加奈」の人生を生き直しすることができて、私はやりたいことがたくさん見つかった。やりたいこと=私の夢。私はママとか、妻っていうポジションが欲しかったわけじゃなく、福岡加奈として、1人の人のとして認めてもらいたかっただけだった。そして繋がりや経験を通して今の自分にOKをだしありのままの自分で生きていきたいだけだった。長くなったけど、いよいよ発表です!⑧に続く

新しい場所の名前が決まりました‼︎⑥

動き出した夢物語妻、ママをやらなきゃいけないと生き続けてきた私だけど、私を産んでくれた母にそして父に私ができることはなんだろう?と考えるようになった。いつかダブルケアになる?ダブルケアとは、子育て中に両親、義理の両親の介護もすること。今までずっとママとして子育てをしてきたけど、もしかしたら介護ももう間近なのかも?と思った時、今の状態だとダブルケアは難しい。でも両親は私、長女だし・・・義理の母は同居なので問題ないけど、両親は香川県。海を越える。なにかあってもすぐに行けない。父と話す。もし介護になったときに姫路にいてほしいことを話したら、セカンドハウスを姫路に!となった。いろんな物件探しといて〜とだけ言われて、いくつか我が家から近い中古物件を送ったらこれやったら加奈がやりたいことができないよね?と言われた。え?私のやりたいことをセカンドハウスで?私がやりたかったこと。子育てサロンfufreを2015年5月にオープンしたけど、やっぱり自分が住む校区内に場所を持ちたいと考えていた。ママとして、妻として夢なんて持ったらいけないと思っていたけど、mamahataと出逢って、いろんな人と出逢って夢というより「やりたいことがたくさん見つかった」。自分の住んでいる校区内に場所を持ちたい!がいつのまにか私のやりたいことになっていた。セカンドハウスを建てる!私がやりたいこと、何度も何度も話したけど、なかなか伝わらなくて苦戦(笑)でも、私がやりたいこと、つまり新しい場所をセカンドハウスとともに建てよう!ということになった。(もちろん場所代は支払います。)母に居場所を作りたい!から怒涛に動き出したセカンドハウス計画。セカンドハウス計画がスタートしてからたくさんの気付きがあった。⑦につづく

新しい場所の名前を決めました‼︎⑤

居場所がない。mamahataと出逢って第二のターニングポイントは、母が私に言った私には居場所がないという言葉。私はずっと我が家も含めて居場所があると思っていたから衝撃だった。母の居場所を作りたい。ただただ最初はこれだけだった。そしてこう思った瞬間に、いきなりいろんなことが動き出す。そして10年以上前から母と話していた夢物語を思い出す。昔から語っていた家族の夢物語私の母はホームヘルパーをしていた。私は幼稚園教諭。妹は看護師。叔母はずっと自宅で介護をしている。(継続中)家族みんなで会社できるねなんとなーくいつも母と語ってた家族の夢物語。この家族みんなでやる会社は、地域の人が集まってくるイメージ。地域の人達に私たち家族が会社としてやること。母は昔からパンやケーキを焼いてくれる素敵な母だったから、地域の人たちのためにパンやケーキを出す。父は昔、漫画喫茶がやりたかったみたいで、喫茶店のマスターみたいに母が作るパンやケーキに合わせてコーヒーを入れる。高齢者の方がたくさん来たら、看護師の妹が健康相談。血圧を測ったり?そして地域のお母さんや子どもが来たら幼稚園教諭の私の出番。昔ながらの近所付き合いをずっとやっている叔母は、地域の人の中でも特に難しい人たちとコミュニケーションをとって巻き込んでいく。私のパートナーは内装職人。内装に困ってる人がいたら相談に乗って仕事をしたり、業者を紹介したり?家族で会社できるやん!って夢物語をもう10年以上前から母とはよく話していた。それがまさか、母の一言「私の居場所がない」から怒涛のように動き出すなんて。⑥につづく

新しい場所の名前を決めました‼︎④

ママ、妻というポジション私は幼稚園の頃から、幼稚園の先生になることが夢だった。幼稚園の先生になるために一直線!どストレートに夢が叶った後、次の夢は?ママ♡自分のお母さんみたいになることが次の夢になった。ママになって、毎日頑張ってた。料理洗濯掃除子育て近所づきあい(隣保長も)素敵なママ素敵な妻   etc...ママになったら、妻になったらこれが当たり前と思い過ぎていて、夢なんて持ったらダメ!いいママにならなきゃ!いい妻にならなきゃ!になっていた。私にとって、ママ、妻というポジションは、私から夢を奪っていただけではなく自分への自信もどんどんなくすママとはこうでなければ!妻とはこうでなければ!というればならない病への道へと繋がってしまっていた。繋がりや体験で変われた私。ればならない病にかかってしまった私だけど、mamahataと出逢って、人を好きになれたから、mamahataと出逢う前に出逢った人たちのことをもっともっと好きになった。私が福岡加奈になってから出逢った、初めての友達でもある。ありがたいことに、今でもいつも応援し合える最高な友達ばかり。そしていつも刺激をもらえたり、原点に立ち返らせてもらえる大事な友達。人と人との出逢いや繋がりで、学ばせていただけること、感じること、感謝することが山ほどある。そして様々な体験を通して(失敗も含めて)少しずつ少しずつ成長させてもらった。繋がりや体験が私を変えてくれた。mamahataと出逢って少しずつ成長してきた私に起こった第二のターニングポイントは⑤につづく

新しい場所の名前を決めました‼︎③

出る杭は打たれる?確かに打たれまくった人生。でもそのおかげ?で身についたものがあった。強靭な心打たれ強い自分人への不信感(笑)打たれまくった結果、もともと自分の名前が嫌い。自分のことは大嫌い。だから人も嫌いな私が、人のことをなかなか信用できなくなっていた。ますます人が嫌いになった。29歳がターニングポイント!人が嫌いなくせに、結婚してママになってから、人と関わることばかりしていた。ベビーマッサージ教室育児サークルそして30歳を目前に、私がやりたいことってなんやろう?を考え始めた時に出会ってしまったのだ。mamahataとの出会い。四年前の神戸のママフェス「メルレーブ」にブースを出していた、緑Tシャツのママ軍団。活動内容もだけど、もう直感だよね。私も仲間に入りたい!そう感じた次の日には、もう理事長と会っていた。そしてすぐにやる!と決めた。mamahataでの四年間本当にいろんなことがあった。初めての営業で30分説教くらうビジネスメールを知らなすぎ変な正義感で言いたいこと言うスポンサーに迷惑をかけるクビ寸前のことをやらかす仲間が離れていくこんなことを体験しながら、私は本気で今までやってきた。熱苦しく、前だけを向いて猪突猛進!とにかく動いた。たくさんの人に出会った。たくさんの人とも繋がった。気付いたら人のことが大好きになっていた。だから自分のことも大好きになっていた。(名前が好きになったのはmamahataと出逢って3年後くらいかな?)生き直しをし始めた30代mamahataと出逢って、私は人生が劇的に変わった。今まで生きてきてたけど、死んでるように生きていた。だから今、やっと私自身の人生を生き直しています。mamahataと出逢ってわかったのは、私はママ、妻、っていうポジションが欲しかったわけじゃなかったってこと。④につづく

新しい場所の名前を決めました‼︎②

私のコンプレックスの話①加奈の名前の意味は、口の力を大きく示すなんだな!って気付いた時にフワッと浮かんだのが歩くスピーカー(笑)私は昔から歩くスピーカーだったようだ。本当の意味は、なんでもかんでもペラペラといろんな人に家庭内の話を話しまくっていた幼少期の話なんだけど(笑)とにかく私の声はよく通る。良くも悪くも。何人かで話をしているのに、気付いたら私だけが言ってることになってたり、私だけが怒られたり(笑)これがまた、長女が同じタイプのようで個人懇談の時におかしくてしかたなかった(笑)私のコンプレックスの話②声がでかい!よく通る!ってことがコンプレックスで、自分にとってデメリットだった。でも初めてデメリットがメリットに変わった瞬間があった。それは短大の時の弾き語りのテストの時。(幼稚園教諭になりたかったので、幼稚園教諭免許、保育士資格がとれる短大へ)声がよく通るから、歌ってもよく通る。その時初めて、声が通ることを先生に褒めてもらった。今まで先生や親からは怒られることが多かったこの通る声が、保育の世界では「メリット」に変わったのだ。私のコンプレックスの話③声以外にもコンプレックスはあって、1番のコンプレックスは何もしてないのに目立つ!だった。何もしてないつもり。でもなんだか目立つ。声のせいもあったかな?だからいつも打たれていた。よく言うでしょ??出る杭は打たれる!ってね(笑)まさしくそれ。ガンガン打たれる。引越しも多かったから、引越しするたびにいじめにあう。小学生のころはいじめがひどくて、1週間は耐えたらしいけど、急に「おばあちゃんちに帰ります!」ってお母さんに言ったらしい(笑)これは覚えてない。高校生の時なんかは、数人の女子たちに囲まれて「土下座してよ!」とわけのわからないことを言われた(笑)「せーへんし!」と香川県なのに関西弁バリバリで言ったら、「土っ下っ座っ‼︎土っ下っ座っ!」って手拍子されました(笑)この続きは直接聞いて〜!短大時代も、幼稚園教諭時代もそこそこいろいろあって、いつも母から出る杭は打たれるっていつも言ってるやん‼︎と言われ続けていました。出るつもりはないねんけどな・・・出てるつもりもないねんけどな・・・これも出る杭大会で大賞をとったことでちょっとだけ前に進めたんだけどね(笑)③へ続く

新しい場所の名前を決めました‼︎①

やっと、新しい場所の名前が決まりました。悩んで悩んで悩んで、、、やっと決めました。名前をどうしても今日決めたかった。2017年11月17日にオープンする!と決めていたから。1年後の今日。そして今日、11月17日は私が両親に何回目かの「産んでくれてありがとう♡」を伝えた日。私が産まれたのは1月17日。産まれた日にさらに「1」をプラスした今日は、私にとって忘れられない日になった。忘れないように今の私を、ありのままの私を綴ることにします。「加奈」という名前が嫌いだった私はずっと「加奈」という名前が嫌いだった。名前だけじゃなくて自分自身のことも大嫌いだった。だから自分以外の人も嫌いだった。人と繋がることは「不幸」でしかないと思い込んでいた。好きな人だけ繋がっていれば満足。そう思っていた。なぜ嫌いになったのか?理由①私は二人姉妹。妹はみんなが「◯◯ちゃん」と呼ぶのに、私はなぜか「かなー!」と呼び捨てされることが多かった。そんなに深く考えたことがなかったけど、意外と傷ついていた?みたい。嫌いになった理由②小学校二年生の時に、名前の由来を両親に聞いてくる授業があった。ワクワクして聞いたら「響きが可愛かったから」って言われた。みんなの前で発表する時に、なんだか他の子はものすごく意味がある名前で、それが素敵って感じてしまって、自分の番が嫌で嫌で仕方なくなった記憶がある。それを悟られないように、自分の発表の時は大きな声で笑いながら「響きが可愛かったからだそうです!」って答えたことも覚えてる。嫌いになった理由③短大生になった時に、クラスに5人くらい「かな」ちゃんがいた。誰かが「かなー!」って呼ぶと「かな」がみんな振り向く!みたいな(笑)その中に「可奈」ちゃんという名前の子がいて、可奈ちゃんの名前の由来を聞いた時に衝撃だった。可能性を大きく示す子どもに♡なにそれー!すごいっ‼︎同じ「かな」なのに響きが可愛いだけの私、なんやねん!って思ってしまったの。お父さんお母さんゴメンナサイ(笑)私の名前の意味。名前の由来は響きが可愛かったからだけど、ちゃんと意味があったんだってことに気付いた。それはあるセミナーを受講した時に気付かせてもらった。私の名前は「加奈」口の力を大きく示すだから私は今「伝える」を仕事にしているんだなって。でもまたここで思い出す。自分のコンプレックスだった部分を。②に続く。